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緑茶と紅茶


ヤブキタの父 杉山彦三郎
静岡市谷田の県立美術館に向かう並木道に背丈よりも高い大きな茶の木が立っている。ヤブキタの母樹である。ヤブキタは明治末に見つけられた品種で、収量が多く味がよい品種として広く栽培されている。
このヤブキタは1908年旧阿部郡有度村の農家杉山彦三郎が在来品種の中から見つけ出し育てた物で、藪を切り開いた茶園の北側に移植したことから名付けられたといわれている。毎日茶を摘んでいるうちに、木にはそれぞれに個性がありことに気づき、その多彩さが品種改良へのきっかけとなったといわれる。当時茶は重要な輸出作物であったが、栽培の現場では品種改良という考え方はまだ無かった。
彼は埼玉から鹿児島まで歩き、これはという木を見つ
けてきては植えることを続けた。戦後県立農事試験場
で始まった茶樹の試験検定で改めて注目を浴び、
1955年県の奨励品種となった。その普及は急激であ
った。茶園の改植や新植ブームもあって、一気に普及
し在来種に取って代わっていった。



車窓から眺める茶園は、畦が曲線を描いて美しく、静岡県の景観の一つとなっています。
茶園に近づいてよく見ると、高さは腰のあたりまでしかなく、蒲鉾形で松や杉などの樹木、柿やリンゴなどの果樹とは様子が違います。このように茶樹が蒲鉾形になるのは、茶栽培に独特の新芽を全て摘み穫ってしまう茶摘み作業のためです。芽を摘み取られる茶樹は毎年わずかしか上に伸びられず、胸あたりの高さまでになると、茶摘が大変になるので低く刈り戻されます。この結果、楽に茶摘のできる丈の低い茶園が多くなるのです。また、蒲鉾形になったのは、手摘みではなく鋏で茶芽を摘むようになってからのことです。手摘みでは、株の周りをぐるりと回って、手の届く範囲で芽を摘みます。そのため、茶株は中央部が盛り上がった饅頭形、あるいはそれが繋がったジグソーパズル形になります。鋏を用いた摘み方が開発されてから、収穫面積が広いなど利点の多い、蒲鉾形畦の普及が始まりました。饅頭形の株と株が一列に繋がって、蒲鉾形の畦ができあがったのです。




茶色
日本人は、色を表現するときに、自然に存在する物の色にたとえて、何々色といいます。たとえば、桃色、草色、小豆色、空色、灰色。それに対して、黄色、赤色、緑色などは、中国語としての漢字が意味する色のイメージをそのまま使っています。だから、緑といっても緑という物があるわけではありません。では、茶色の起源はどこにあるのでしょうか。私たちがふだん目にする茶の葉は緑色ですし、急須でだしたお茶も美しく澄んだ緑色をしています。なぜ英語のブラウンに相当する色を茶色というのか、不思議に思いませんか。
その答えは意外に簡単です。お勝手にある使い古した布巾(ふきん)を見てください。お茶が染み混んだ布の色、そうです。それが茶色なのです
それともうひとつ、案外知られていないのは、緑色と煎茶が結びついたのはかなり新しい時代だったということです。それまで一般庶民が飲んだお茶は、いわゆる番茶であって、出来上がったお茶は黒色に近く、煮だしたり、熱湯を注いでだしたときの色は、赤色や黄色をしていて決して緑色ではありませんでした。緑色が茶畑や茶碗につがれたお茶のイメージとなったのは、じつは茶色の概念が出来上がってからのことだったのです