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製茶機械・紅茶機械の製造販売。オーダーメイドのダテックです。
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日本紅茶の歴史
明治7年(1874)
紅茶製法書発刊
明治8年(1875)
熊本、大分県に紅茶伝習所設置
明治9年(1876)
多田元吉他インドに派遣 種子を持ち帰る
明治11年(1878)
紅茶製造法伝習規則発布
明治12年(1879)
静岡、滋賀、宮崎に伝習所設置
明治13年(1880)
岐阜、奈良、熊本、鹿児島に伝習所設置
明治23年(1890)
農務省直営茶園を設置 紅茶用品種の育成開始
明治36年(1903)
台湾に茶樹栽培試験場設置(戦時中)
大正8年(1919)
農務省直営茶園が静岡に国立茶業試験場として移転
昭和22年(1947)
静岡、奈良、鹿児島に原種農場を設立
昭和34年(1959)
品種紅茶園1万ha、6千t生産の15カ年計画策定 枕崎支場を新設
昭和37年(1962)
15カ年計画中止決定
昭和46年(1971)
紅茶輸入完全自由化
平成2年(1990)
自家生産・販売での国産紅茶復活
日本でも古くから紅茶は作られ、明治大正時代には大きな輸出産業となっていました。一時期輸出の減少と外国産紅茶の安価での輸入増大により紅茶畑は緑茶畑に植え替えられ、緑茶工場に変わり、減少の一途をたどっていました。食生活の多様化と欧米化で紅茶の需要が伸び、現在は大小300あまりのお茶農家で製造されるようになりました。日本の紅茶の特徴は、小規模な工場がほとんどである点、また品種も多様な点、製造方法が一定でない等の特色があります。
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紅茶という言葉と多田元吉
紅茶という言葉は江戸時代にはなかった。明治維新後、開港当時Black Tea(ブラックティー)という言葉「黒茶」と訳されていた。我が国の紅茶製造にすべてをかけた 多田元吉 が「紅茶」という言葉に訳した。これがこの後の翻訳語となったのである。欧米で使われるブラックティーの翻訳語が日本で作られ、それが中国に紅茶(ほんちゃ)として伝わった。そして今日も使われている。
多田元吉は明治時代の茶業研究者。千葉県出身。毎時維新後に静岡に移住。静岡県静岡市丸子に茶園開く。明治8年内務省に配属。中国を視察。翌年インドに派遣され、日本人として初めてダージリン、アッサム地方を訪問。アッサム種の種子、生産設備技術を持ち帰る。持ち帰った種子と日本品種の交配により国産紅茶品種が育成された。
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